株式会社 風

大化の改新は、中大兄皇子と藤原(中臣)鎌足が権力を独占し好き放題やっていた蘇我入鹿をうち滅ぼす、という話。
中大兄皇子と藤原鎌足が正義の味方で、蘇我入鹿は悪玉になっている。

蘇我入鹿暗殺

しかし、これには異説もある。
大化の改新の事件そのものに異論もあるようだし、その後の日本書紀に書かれたことを深読みすると、中大兄皇子は民衆に嫌われていたとか藤原鎌足(藤原氏全般?)は祟られていたとか、そういう読み方もできるのだとか。そして、そう読めば、中大兄皇子と藤原鎌足は正義の味方ではないということになる。

私は、歴史家ではないので、「どっちが正しいのか?」なんてことはどうでも良い。

日本書紀をマーケティングツールと見る

日本書紀と言うのは、藤原不比等と言う人の息がかかっているらしく、藤原氏のマーケティングツールと見ることもできそうだ。そこから、どんなことが言えるのかについてえてみたい。

まず、商品は藤原さんの家系というか血脈と言うことになる(ちなみに、藤原氏の末裔は今でも天皇の周辺にたくさんいる。知り合いにはいませんが。)。
広報の仕事は、その「藤原氏」ブランドの価値を高めること。

ブランド価値というのは、その「ブランドに対するファンの数」とイコールだ。
したがって、ブランド価値を高めるには、「藤原氏」ブランドの認知度を上げ、藤原氏っていうのはこんなにみなさんの役に立ってるんですよ、と言うことをアピールしなければいけない。

そこで、「ファンづくりのためのポジショニング」として、大化の改新と言う事件を利用して、正義の味方というポジションを選んだ。
この頃(8世紀)と言うのは、ほかにも「**氏を滅ぼした」的な事件は色々とあったらしいのだが、どうやら「正義の味方」のポジショニングのために使われた事件は一つだけのようだ。

客観性を欠くと情報の信頼度が下がってしまう

「日本書紀と言うのは、藤原氏が広報のために色を付けてるらしいよ」
と言うことが客である民衆(我々も含む)にあからさまに知られてしまうと、日本書紀自体の信頼性が下がる。それでは、ファンを作るどころか読者はしらけてしまう。

「正義の味方」としての広報が他に見当たらないのは、日本書紀の信頼性を保つためかもしれない。

今も残っている当時の書物は日本書紀ぐらいしかないのだろうけれども、おそらく、当時、他にも書籍や新聞的な書き物もあったことが予想される。栄華を誇った藤原氏がそれらを駆使していないとは考えにくいので、色々やったのだろう。

日本書紀は、今でいうと、NHKの番組に出演したと言うようなところだろうか。

藤原さんはなぜファンづくりが必要だったのだろうか?

当時の人々は「神と祟りを恐れていた」ということがヒントなのではないかと思う。

話はそれるが、当時、雷と言うのは祟りの象徴だったらしい。雷で亡くなる人がいると、「その人は祟りで死んだ」と言われた。
なので、日本書紀に登場する雷は、本当に雷が落ちたということではなく、祟り、つまり「その人は悪いことをした」ということを暗に言っている、という解釈もできる。

雷に打たれないために、「人に祟られないための評判」が欲しかったのではないか、大化の改新はそのための広報活動である。逆の見方をすると、蔭ではかなり悪いことをしていたのかも知れない。

とすると、今現在の歴史教育では「藤原鎌足は正義の味方」と教えられるので、すごーく長期的に見ると、マーケティングは大成功だったということになる。
当時の藤原さん達が雷に打たれなかったかどうかは誰にもわからないけれども、大化の改新はマーケテイング戦略の元祖と言っていいのかもしれない。